潜伏期間3年の苦行 この期間をインターンシップで縮めたい
Dialogue for Everyoneの北村貴です。
今回は、セカンドキャリア塾のプログラムの一つである「大人のインターンシップ」を何故始めたか?というはじまりの話を書かせてください。
私は2005年、38歳で北海道にUターンしました。
生まれ育った故郷の町に帰り「北のフードソムリエ」という通販サイトをスタート、少し早いセカンドキャリアに踏み出したのです。お仕事は、全国の食に関心が高い方々をターゲットとしていましたので、東京にいるときの感覚とあまり変わることなく、なんとか少しずつ形にしていくことができました。
しかしなんと!Uターンしたにも関わらず、3年もの間、地元の誰とも交流をせずに過ごすこととなったのです…。一言でいえば私の準備ができていなかったこと、さらにその自分の課題に気づいていなかったことが原因でした。
例えば当時の私は、難しい用語や横文字言葉、テクニカルタームを普通にに使い、その上、多用し(笑)、地域の中では相当「浮いた存在」だったと思います。笑顔で話を聞いてくれていたように思っていましたが、きっと心の中では「あの人は何を言ってるかわからない」「何か偉そうに感じる」と思っていたことでしょう。
2年くらいたったある日、地元の企業の社長さんにこういわれたのです。「あなたの話はよくわかりました、東京に戻ったほうがいいのではないでしょうか?」と。
なぜ?どうして?私は地元に貢献したくて戻ってきたのにどうしてそんなことを言うの?と本当に腹が立ったことを思い出します。
しかし、きっと社長さんから見ると「あなたはコミュニケーションの基本である共通言語を持っていない」ということ、「地元に貢献したいとはどんな立ち位置から言っているんだ」ということだったのでしょう。
この出来事があってから、周囲の人に相談するようになりました。できないことを認めて、伝えて教えてもらうと、先に出てきたような理由であることがわかったのです。ようやく周囲の人とお話ができるようになるまで、3年の月日が流れていました。
地元に戻った私でさえ、こんなハレーションが起こるわけですから、I・Jターンの人にも同じようなことがあるのではないか?
この3年という無駄な期間をどれだけ短縮して、一日でも早く地域となじみ真の貢献をしてもらえるか?ということを考え始めるようになり、いつしか「大人のインターンシップ」をやりたいと思うようになったのです。
私の苦い経験から始まった、このインターンシッププログラム。
潜伏期間3年はつらい日々でした。
自分のキャリアを棚卸し、強みを見つけていくと同時に、自分のスキルをぶつけるのではなく、相手の立場に立って「自分に何ができるか?を学ぶ練習の場がインターンシップです。
地方には課題が山積み。都市のキャリアや経験が生かせる場がたくさんあります。成功の秘訣はいくつもありますが、私の経験から「相手に寄り添う」「自分に何ができるか?を考える」「伴走型の業務スタイル」がまずはスタートとしてやりやすいのではないかと思います。
Dialogue for Everyone(株)
取締役 北村貴
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