“やり切った”40年弱の会社員生活に終止符・60歳から東京―長野の二拠点生活で「農ライフ」にチャレンジ/7期生 岸本眞弓さん(59歳女性)

東京で会社員を経験してきた岸本眞弓さんは、60歳になるタイミングで退職を決意した。セカンドキャリア塾で40年近い会社員人生を振り返り、「これまで十分にやりきった」と納得。60歳から65歳までの期間は、「本当に自分がやりたいこと」にチャレンジする「人生で最後のチャンス」ととらえ、長野県で農ライフを始める準備を進めている。

※(上記写真はインターンシップ先で草刈り機を持つ岸本さん。農業はまったくの初体験だ)

 

メーカーで海外取引、インターネット普及事業、外国語教育の3つの職を経験。振り返れば転職も現在のチャレンジにつながる経験に。

現在の職場は3社目です。大学で英語を学んでいたこともあり卒業後、メーカーで法務や海外取引に従事しました。人間関係にも恵まれ 、やり甲斐を感じていましたが、結婚して2人目の子どもが生まれた時、通勤の長さがネックとなり退職しました。振り返れば、あの時ずっと続けていたら、今のような出会い、選択はなかったのかもしれません。そういう意味では、退職に悔いはありません。

次にインターネット関連の非営利組織に移り、教育現場で普及事業に取り組みました。「インターネットが教育環境を変える」という理念のもと、事務局として活動しました 。現在はインターネットで世界各国の国語を学習できるコンテンツを配信する会社に勤めています。もともと日本語教育に興味があり、日本語のコンテンツ作りに携わっていましたが、会社が成長するにつれて労務から経理まで幅広く支える立場としての役割が増えてきました。

 

60歳から65歳までの時間は、すごく大事。60歳を機に会社を辞める決意。きっかけは、キャリア塾で体験した「自分の棚卸し」だった

会社の就業規則は私が整備して、定年を65歳に設定しました。このまま働くこともできましたが、60歳を目前に「今しかない」と辞める決意をしました。

ちょうど、セカンドキャリア塾のセミナーを受講して、キャリアを振り返る「自分の棚卸し」をしました。その中で、私はずっと会社の経営を支える仕事に携わってきましたが、「自分自身は興味がなかった」ことに気付かされたのです。組織の中で働いていると、どうしても人の期待に応えたり、評価されたりすることが軸になります。「もうそれはいい、十分やり切った。今度は自分軸で 生きてみたい」と思うようになりました。60歳から65歳までの時間は、すごく大事だと感じていましたし、人生100年といわれつつも、もしかしたら短いかもしれません。この期間は、体力的にも気力的にも充実している最後かもしれません。40年近く会社員だったので、会社員じゃないことをやれる最後のチャンスという気持ちでした。

同時に、東京と長野の二拠点生活がスタート。地方には、自分を軸に小さなビジネスを展開している暮らしがあった

生まれも育ちも東京で、地方の生活を一切知らない私でしたが、昨年、長野県のある地方で家を買い、東京と長野の二拠点生活を始めました。長野には週末に来ています。そこでは、地元の人たちが自分たちで栽培した野菜を販売したり、楽しみながらパンのお店 をしていたり、手作りの麹で身体にいいご飯を提供するレストランを開いていたり、それぞれが独立して小さなビジネスを展開しているのです。自分がやりたくて、自分のできる範囲で独立してやっている様子を見て、とてもいいなと感じることが増えました。

長野に来るようになって、農業をやっている人たちを身近に感じるようになっていたとき 、無農薬無肥料で野菜が作れるということを知り、興味を持ちました。農薬や肥料をたくさん必要とする慣行農法の流れを簡単に変えることはできませんが、一般市民が農薬を使わずにおいしい農産物を作ることならできます。そこから農業を変えていくという活動に共感して、自分自身でもできるのなら、畑をやってみたいと思うようになりました。

長野で始まった新しい生活。身近には伝統的な稲作風景も広がっている

 

キャリア塾先輩大塚さんのもとでインターンシップ。トライ&エラーの精神で「就農」に向けて背中を押してもらう

インターンシップでお世話になったのは、地方共創セカンドキャリア塾4期生の大塚洋一郎さん(68)です。大塚さんは30年間、国家公務員として働いた後、55歳で「食と農の連携」をテーマにNPO法人を立上げ、実際に自分で作った農産物で人を繋ぎたいと67歳で就農された方です。その大塚さんが農業を営む埼玉県ときがわ町で農作業の体験や具体的なアドバイスをいただいています。

たまたまインターン期間中に、運良く長野で畑が借りられるかもしれないということになり大塚さんに相談したところ、「まずは覚悟を決めるしかない。ぼくがやってきたようにやれば、きっとできるよ」と励まされました。草刈り機一つ使ったことのない私ですが、「大丈夫。失敗したら農機具を売ればいい。中古でも売れるよ」と明るく話されました。大塚さんからは、「覚悟とトライ&エラー」の精神を学びました。これからも時々行かせてもらい、勉強をしようと思っています。

農業で起業とかそんなレベルではなく、本当に畑づくりができるのかという段階です。ただ、私が住んでいる長野県の地方では、生産者と料理人とのつながりが深く、地産地消が身近です。地元で取れたものを優先して使うような関係ができています。私の作るものがどんなものになるのか、まだ分かりませんが、そんなコミュニティの中に入りたいなと思っています。

インターンシップ先の大塚さん(右下)の農場で。大豆の親子収穫体験の手伝いにも加わった

 

他人の目線から離れることでしか、心から幸せになれることはない。今、その未知の世界の入り口に立ったと感じている

今、読んでいる本に「他人の目線から離れることでしか、自分が心から幸せになれることはない」という一文があり、確かにそうだと実感しています。会社員人生は「他人目線」がすべてでした。「あの人に評価されたい」など、軸がどうしても他人。そこから脱してこそ、本当の幸せが手に入るというのであれば、まさに私は今、未知の世界の入り口に立っているのだと感じています。60歳になるあの時、会社に残らなくてよかったと思えるように、これからもやっていきたいと思っています。

岸本さんが借りる準備をしている長野の畑。未知の世界の入り口が待っている